たくま’sBlog

遠い懐かしさを感じさせる、得がたいもの、失われたものなどに対して、心惹かれ、思いを馳せ、憧れや恋しさを抱くことなどを書き綴るブログにしたいと思います。

Dmitri Shostakovich-”Romance“ from The Gadfly(馬虻)

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100坪の空き地

 

 


Jonathan Carney "Romance" The Gadfly, for Irene

 何故👆の曲を?そのわけは、👇

 

芥川也寸志氏によれば、

 一見神経質そうで、タバコを吸うときも痙攣するような手つきで口に咥え、あわただしい格好でマッチを探す。まるで豆鉄砲のような早いロシア語が薄い唇からパラパラと飛び出し、時々瞼と頬の筋肉がピクピクと動く。何かに脅かされているかのように、眼をせわしなく動かして、見るからに気の弱そうな感じが、彼の外見。意外にも、フットボールが大好きで、ジャッジの資格さえ持っている。

 

中河原理氏「ドミートリ―・ショスタコ―ヴィッチ」より

 芸術といえども全く自由なものではなく、19世紀初頭あたりまで作曲家は国王や貴族に抱えられ、その注文に応じて音楽を書き、暮らしを立てていた。今日では貴族に似た立場を放送局、各種財団、その他が引き継いでいる。しかし国家権力が、それも作品の内容というか根本まで立ち入った例は多くなく、16世紀半ば、カトリック教会会議でプロテスタント対策として(世俗的で不潔なもの)が教会音楽から追放されたほかは、20世紀、ナチスドイツがシューンベルクやヒンデミットユダヤ的堕落芸術家と烙印を押した事件がある。昔宗教いま政治といった感じだが、それにしても、共産主義ファシズムという両極が軌を一にして似たようなことをやっているのは興味深い。
 ナチは一時の狂気、共産主義は「雪解け」以後も西側の世界のように自由にはいかない。音楽に限らず、こういう国柄の芸術に接する場合、私たちが果たしてどこまで”本心を吐露”しているのだろうかという気持ちにもなるのも故ない事ではなく、一度嘘を吐くと本当のことをいっても信用してもらえないという寓話に似て、これは芸術家にとってもその作品を楽しむ者にとっても不幸なことといわねばなるまい。

 

交響曲第5番 ニ短調 作品47 youtube.com/watch?v=cg0M4LzEITQ

 「革命」→「人間性の設立」(作曲者曰く) 何故、革命???

 

エセ芸術家の見分け方👉『模倣はしない』と言い張る人

芸術家はマネをし尽くした人、真似るは「学ぶ」ということ。